要領とは知恵かサボりか 【ブログ】

先日23時過ぎに友人からLINEが。
Eテレでその日の0時から放送される番組を教えてもらいました。 

SWITCHインタビュー 達人達
立川談春×古川周賢


私の大好きな落語家・立川談春さんと、禅僧・古川周賢さんの対談番組でした。
実の所、疲れていたので0時からの1時間耐え切れず、途中で寝落ちしながら必死に見ていたのですが(笑)、寝落ちしてなお何だか響く言葉が多い対談でした。

さすがに「話」に関して巧者のお二人の対談。
鋭い質問が飛ぶかと思えば、のらりくらりとしているようで着地点には納得させられてしまう答え。
時にリズムを作り出すツッコミがあったり…終始そんな感じで話に引き込んでくれます。

中でも「要領がいい」というのは、知恵なのかサボり(手抜き)なのか。
という話がとても興味深く。
お寺の修行では、毎日とてもやり切れる量ではない膨大な作業を言いつけられるそうで、それを全てやりきっていては何も終わらない。
というところから話は始まり、結局は「知恵」と「サボり(手抜き)」の違いは、自分の判断なのだと。
例えば雑巾がけ。
たとえすべてを拭き終ったとしても、修行としてその「意味」が分かっていなければ、それは終わったことにはならない。
たとえ全てを完璧に仕上げなくても、その「意味」するところを達していれば、それは一つの事をなしたことになる。
当たり前の事ですが、自分で「手を抜いたな」と思っている事はサボり。
必要なことはやりとげた、というのは知恵。
もちろん最初からそれが解るわけではなく、日々の修行の中で考え、体得し、その区別をつけていくのだと。
修行としてどの域まで達したかを判断するのは師匠だけれど、その意味を考え、行動していくのは自分。
お二人とも徒弟制度の中にいらっしゃる方なので、通常の仕事には当てはまらないお話かもしれません。
一般的な仕事には必要な「結果」があり、「プロセス」があります。
プロセスを変え、もしくは端折ったことで結果が変わってしまえば、本人が「知恵」だと思っていてもそれは「手抜き」と言われても致し方がない。
楽をするためには知識を得る努力、思考する努力、行動し検証する努力が必要。
要領よく仕事をしたければ楽をする努力を怠らないこと。
というのが私の持論でもありますが、要領よく仕事をするのはなかなかに難しいことですね。

なかなか修行の意味が解らない人もいる。
あまり考えない人もいる。
知恵とサボりの区別がつかない人もいる。

「でも、雑巾を持った人だけが前に進めるんです。」
このお話のしめくくりで、とても印象深かった言葉です。

指示をされた修行に対してどんなに口であれこれ言おうが、どんなに頭で考えようが、前に進めるのは「雑巾を手にした人」だけなんです。
当たり前の事なのに、なんだかすっと心に沁みわたった言葉でした。


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